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うさこにっき

生活クラブのsnsクミーズ、2007年から2013年までのブログ記事。

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2010/08/26
CWニコルさんは1962年、22歳で空手と柔道を学ぶために日本へやってきて、埼玉の秋津に住む。
17歳、18歳とカナダに行き、北極探検に加わったり、20歳では越冬隊にも加わったりと、自然の中で暮らすのが当たり前だったが、日本の冬山には感動した。
秋津も当時は里山で、ほだ木栽培のしいたけや、落ち葉を使う畑など、日本人はファーマーではなく、ガーデナーだと暮らし方にも感心した。クマやイノシシも山に棲んでいる。
ニコルさんの故郷、イギリスでは970年前にクマが絶滅し、400年前にイノシシも絶滅している。原生林は貴族や王の狩場でしかない。日本ではふつうの人が、イワナやヤマメを獲って食べるのは、密漁ではないかと思ったくらい。イギリスではきれいな森や水は貴族のものなので、日本人は恵まれていると思った。

しかし1963年日本で初めての夏は、それまで涼しいところにいたので、暑くて死ぬかと思った。あまり暑がるので、武道の先輩が山に誘い、重い荷物を担いでいくと、山はますます日差しが強く、ちっとも涼しくない。
ところが千メートルを超えると、空気が変わり、涼しい風が吹き、いたるところに水が沸いている。そこはブナの原生林だった。
ブナはケルト人の水の神様にあたる。どうしてそのブナの原生林をアングロサクソンは守らなかったのか。そして工業地帯も都会もある日本で、どうして残すことができたのだろう。
田舎に行くと、「なにもないんですけど」といわれて出される田舎料理が一番美味しくて嬉しい。山菜料理などは豊な日本の植生にある。

28~29歳ではエチオピアで5回調査探検をし、国立公園を守るレンジャーにも入った。
しかしエチオピアでは、言論の自由はなく、国立公園の外では環境を守どころではない。ヒョウがいなくなるとヒヒが増え、タカやトビがいなくなるとネズミが増える。警察は信用できず、軍隊はこわい。自然がこわされると、きれいな水もなくなり、人が凶暴になっていく。

3人の子どものために、エチオピアから日本に住まいを移し、日本語と水産を学んだ。日本には、言論も宗教も自由があり、旅も自由にできる。北の流氷から、南の珊瑚礁まで、豊な自然があった。
海の哺乳類が専門なので、アザラシやセイウチ、クジラについて学び、カナダの調査にも加わり、南氷洋の鯨の調査船にも乗った。
いよいよ日本で暮らそうと思い、北海道も東北も九州も沖縄もいいと迷っていた時に、友人の詩人、谷川がんさんに黒姫の近くがいいと言われた。ニコルさんは海の近くではないと住めないと思ったが、日本は島国だから、どこにいってもすぐに海につくといわれ、それもそうかと黒姫に住むことにした。

かやぶき屋根で、冬は雪下ろしを12回もした。大根おろしはしたことがあるが、雪下ろしは初めてだった。小説を書こうと思っていたのに、雪かきをしていた。
猟友会に入り、飯縄山では熊の足跡もみた。ブナ、ミズナラ、クリ、クルミなどの木があるので、熊が棲める。熊が住める森には、他の動物も鳥も棲める。山の降りれば、近代的なまちがある。
ところが次の年には山は丸坊主になった。森の木は切られ、代わりに杉が植えられた。食べものがない熊が山から下りてきてその冬は13頭撃たれた。土砂崩れがおきて死者も出た。
猟友会の人に訴えてほしいといったが、有名な外国人のほうがいいといわれて、ニコルさんがマスコミに訴えると、日本のあちこちで同じ状況だから来てほしいといわれた。
バブルの始まりで、日本は金持ちになり、林学はあるのに、林業ができなくなっていた。
外国では政府の悪口を言うと、夜中に行方不明になったり、ビザが下りなくて入国できなくなる。しかし日本ではそのおかげで有名になり、コマーシャルで稼ぐことができた。

 
日本で儲けたお金は、日本のために使おうと思ったときに、南ウェールズの森を思い出した。
炭鉱で木はまったくなく、土砂崩れにより小学校もながされたところに木を植え、森を作ったのだった。
森ができると、水が生き返る。動物が戻る。
日本にも森を作りたいと、25年前に荒れた山を買い、15歳の時から森の仕事をしていた松本さんと一緒に山の手入れをした。
荒れた森では、植物が生い茂り、地面に光が届かず、木は育たない。
病気の木を切り、生い茂る植物を減らし、森が生き返ると、自然な風が森をめぐる。水も生き返り、見える地表の川と、見えない地底の水脈が森を流れていく。
山菜など植物の種類が増え、昆虫がやってくる。大きな木が育つと、うろができて、フクロウやムササビの棲みかとなる。大きい木がない時期には、巣箱を置いてやる。
森を放置するのと、保護するのは、まったく違うこと。間伐した木のチップで人の歩道を作った。
ニコルさんがいなくなっても、森が残るように、「アファンの森」財団を作り、全て寄付した。ウェールズの森とは姉妹森になった。
1960年代、日本は子どもの天国だった。子どもも学生も生き生きして、素敵な老人もたくさんいた。自然が豊だと、人も豊なのだろう。
財団を作ってから、養護施設に暮らす子ども達のことを知った。戦争も洪水もない日本なのに、子どもを育てない、虐待してしまう親がたくさんいる。いろいろなことでおとなも心が寂しくなっている。
養護施設の70%は親がいるのに育てない子ども達で、それぞれ非常に過酷な状況にいた。その子ども達を森に呼んだら、しまった心が開くのではないかと思った。しかしなにかあったときには、誰が責任を取るのかが問題になった。自分が学んだ武道は弱いものを守るためにあった。日本国籍をとったのは、日本のために生きようと思ったからだった。人は森=自然の中にいなれればならない、なんとかしようと思ったときに、まわりのお年寄りが手伝ってくれることになり、今では年に5回、6年半ほど子ども達を招待している。
最近、新しい病名ができ、それは自然欠乏症候群といわれる。やはり自然とともにいないと、人は病気になるらしい。
48年前に日本にやってきて、15年前に日本国籍をとった。日本国籍をもらえるのは、名誉なことだと思っている。この日本の心の故郷は森にあるのだろう。

Q.サーフィンをしていて、海の問題も大きいと思っている。護岸工事など、海も公共工事がしやすくて、海岸が汚くなっていくのを何とかしたいと思っているが、よい方法はないか。
A.アファンの森から流れている川でも、下流で洪水が起こるので、三面工事が行われることになっていた。しかし工事は、大抵止めることはできない。それでやり方を変えてほしいとうるさく言った。まわりをコンクリートではなく、天然の石にした。そのため工事をしても、川は、自然を残している。
自然破壊の裏には、ワイロがある。しかし、中にはいい人もいるので、いい人を探して、つながる。たくさんけんかもするが、愛しい天敵になる。
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